秋祭りと「なれ寿司」 私のエッセイ雑記帳(その78)

ライフワーク研究家 中村 義

私のふるさと、紀州有田の名物のひとつに「なれ寿司」がある。暑い夏の盛りが過ぎ、秋祭りが近づく頃、各家庭では、こぞって自慢のなれ寿司の仕込みに入る。
塩味をつけた新鮮な鯖を、棒状にしたご飯にかぶせ、アセの葉でしっかりと包み、重しを載せて漬け込み、気長に自然発酵を待つ。時間と共に微生物が、頑張ってすばらしい味わいをかもしだす。
口の悪い連中は、「腐れ寿司」などと言うが、とんでもない誤解である。その発酵期間の長さによって、また様々な分類もあり、たとえば「早なれ」、「なれ」、「本なれ」などと、熟成度ごとに名前がついている。
「熟れる(なれる)」とは、まじりあって味が良くなるという意味であり、まさに「なれ寿司」の名前そのものを意味する。
子供の頃からの私の大好物であり、その季節になるとご近所の各家々と交換したり、戴いたりした「なれ寿司」を味わうのが大の楽しみであった。今年は、あそこの家のが特においしかったとか、我が家のはどうだったろうか、とか喜んだり、心配したり。
この「なれ寿司」は、日本酒との相性が抜群によい。そして、いくら食べてもお腹をこわすことはない。消化もよい。
アセの葉で巻かれた寿司の上から、包丁でバリバリと音を立てて切る。切り端のところをすばやく、さっと取る。ここが一番旨い。鯖が折り曲がっているので得した気分と、2面に味が滲みているので絶品である。素人は中ほどのきれいに切った部分を食すが、玄人は断然、切り端の部分を狙うのである。
これは古くからの先人達の智恵からなる保存食でもあり、またその年の秋に収穫された新米とその時期の脂の乗った新鮮な鯖が合体した、なんとも贅沢な旬の食べ物である。
紀州は、殆どが山地であり、僅かな平野部と海岸に頼って暮らしてきた。そのため穀物などの栽培には適していない。だから昔から豊かな国ではなかった。そこで徳川家の殿様たちが、家来に命じて何とか貧しい民の食生活を救おうということで、茶粥や色々な保存食を考案させたという言い伝えがある。
陸の幸である米と海の幸である魚に感謝する「秋祭り」にふさわしい「なれ寿司」はふるさとの自慢料理である。昔の人たちの智恵と工夫の生きた芸術品と言えよう。
毎年、秋祭りの頃、紀州から遥々届く宅急便が待ち遠しい。秋の風に吹かれながら、少し冷やした純米酒と「本なれ」寿司をじっくりと味わいながら、遠くふるさとに想いを馳せる。生きている幸せを思いっきり実感する瞬間だ。


posted by Ryoma21 at 21:32 | Comment(0) | 中村義「私のエッセイ雑記帳: | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「人生相談」の回答者を複数に ~相談者の選択幅を広げて~ 私のエッセイ雑記帳(その77)

ライフワーク研究家 中村 義

ある新聞の「人生相談」は、ほとんど欠かさずに拝見している。多くのさまざまな年齢層の男女の、悩み、苦しみ、教えを乞う、疑問・質問などを読ませてもらっている。

それらに対して、専門家、知識人などが的確な回答をされているのであるが、ただ気になるのは、そのひとりの意見や考えによって、相談者のその後の方向性を決めてしまうことの危険性はないのだろうかということである。

というのは、こうした紙面による相談は、面と向かって話をし、双方向でやり取りをしながら、適切なアドバイスをするのと異なるため、ときには正直なところ「本当にそのようなことでいいのだろうか?」と感じることに出くわすからだ。

それを回避するには、少なくとも3人くらいの回答者からの違った意見を併記して掲載することにしたらどうだろうか。この場合、回答者の本名は伏せてA氏、B氏、C氏などとすれば、読み手と書き手の双方にとって支障がないのではと思う。

こうすることで、相談者がそれらの回答内容を比較して、自分自身で選択することができ、より望ましいかたちになるのではないだろうか。かなり難しいかもしれないが、このような複数回答を採用することも、今後の検討課題として欲しいと切に思うのである。新しいかたちの人生相談の誕生を期待したい。

例えば、こんな相談を取り上げて具体的な提案例のひとつとしてみることに。

最近のある新聞の人生相談で「暇な時に何をすればいいのか」という30代の既婚男性からの相談記事が気になった。休日には掃除、洗濯、ジョギングなどをしているが、他に読書や映画などにも興味がなく、午前中からビールや日本酒を飲んでいる。「もっと休日の時間を有効に使いたいと思っているが、何をすればよいかわからない」といった悩みである。

これに対して、ある作家が回答したのが「何をしたいか、自分で探してみたらどうか。探すのも暇つぶしでしょう。しらふの時、じっくりと自分に一体何をしたらよいのか、聞いてみるといい。自問自答して自分に向き合ったら」といったような回答である。

まことに申し訳ないが、これは残念ながら適確な回答になっているとは思えない。もし、私がコメントする立場ならば、
「子供の頃から学生時代を含めて、これまでの人生生活の中で、好きだったこと、やりたいと思っていたこと、途中でやめたが気になること、友達から君はあれが得意だったよねとか言われていたこと、などを書き出してみなさい。

そして、じっくりと眺めてみてください。そうすると、ああやっぱりこんなことがやりたかったのかというヒントに出合います。そう、それが自分で見つけたあなたのテーマなのです。さあ、さっそく始めてみませんか。きっとうまくいきますよ。なぜなら、それは人から言われたことではなく、自分で納得して見つけたことですから。頑張ってください」といったような回答をしたい。

要するに、相談者にしっかりと向き合って、本人自身ができるだけ納得できるような具体的なアドバイスをしてあげることが大切だ。

皆さんからのコメントをお待ちしています。

posted by Ryoma21 at 12:27 | Comment(0) | しなやか広場とは | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

わたしの心の「ふるさと」~それは父だったのか~ 私のエッセイ雑記帳(その76)

ライフワーク研究家 中村 義(なかむら ただし)

 故郷を遠く離れて、早や56年。東京で大学卒業後、就職、結婚と、関東での生活が長く続いている。気がつくと9年前の夏には、私は父の生きた年を越えていた。

 わたしの少年時代は、戦後の貧しい生活の真っ只中を通過して生きていたようなものである。食料品の配給、闇市なども記憶の片隅に強烈に残る。進駐軍の米兵からもらったチューインガムの味も忘れられない。
 防空壕、灯火管制、枕元に破れた履物を置き、着衣のまま寝る。小さな裸電球を覆う黒い布を見上げて、毎夜を過ごす。

 紀州の城下町というと素敵な感じがするが、当時は生きていくことが大変だった小さな町の思い出が蘇える。久しぶりに育った懐かしいふるさと和歌山のまちを歩いた。何もかも小さく見える。
和歌山城内の石積みの壁をよじ登る、三角ベースの草野球、大人用の自転車で転び傷つきながらの練習、木登り、秘密基地作り、缶蹴り、かくれんぼ、夕日が沈むまで、どろどろになって遊んでいた。

 縁台将棋で駒の動かし方を教えてもらう。わずかな小遣い銭は紙芝居用に取っておく。おもちゃは自分で作るのが当たり前、小刀で指を切ることなど珍しくはない。鉛筆はギリギリまで使う、消しゴムもチビルまで。新聞紙は便所で使う。缶蹴り用の缶の確保さえも難しかった。
こんな生活でも、別に不便と感じたことはなかった。何故か分からない。みんなで生きているという実感がとても強かったのは間違いない。

父はとても器用な人だった。我が家には鳥小屋があった。鶏は大切なもの。卵は大事な栄養源、産まなくなると肉に。首をひねり「南無阿弥陀仏」と言いながら、熱いお湯に漬ける、毛をむしる。
魚は3枚におろす。見よう見まねで、一所懸命に覚えた。だから今でも、魚はさばける。
自給自足の生活、エアコンのない暑い夏、掘りごたつで暖をとる冬、狭いながらも、居場所を探してみかん箱の机で勉強した。
貧しいけど、苦にはならなかった。みんなが同じような生活だったからかもしれない。

こんな極貧状態の家庭で育ったが、本を読むことや本を買うことには、両親は何も言わなかった。本が好きだった。というよりもテレビもない時代、本は唯一の楽しみだったから。図書館でむさぼり読んだ。借りては返し、返しては借りる。

わたしの父はとても趣味の多い人であった。書、絵画、日曜大工、園芸など。
中でも、書は格別のものがあった。師範級の腕前で、多くの書を残したが、何故か子供たちにはほとんど与えていない。わたしは幸いなことに表札をもらったが。号は「寿石」、素敵だ。

父が残した自慢の一筆がふるさとに残っている。「先祖代々の墓」という達筆な墓石。自慢である。回りの墓石とは一段と違う凛とした文字が清々しい。帰郷すると、真っ先に菩提寺に行く。今も堂々と生きている字だ。父に会える。

父は子供の頃から村一番の秀才であったらしい。でも極貧の家庭だから、上級学校には進学させてもらえなかった。独学で勉強して、村役場の小遣いさんからスタートした。大水害で疲弊したまちを復興させるという大命令を受けて、助役として赴任したのが、彼のふるさと有田市である。
学歴社会の真っ只中で、この移動は知事からの直接命令であった。家族はもちろん、回りの人々はみんな驚いた。

その父の35回目の命日も、9年前に過ぎた。そして彼が生きた歳を越えた私がいる。貧しいながらも、本を買うことには文句を言わず、子供たちには自分が叶えられなかった上級学校への進学を実行してくれた。うれしいことである。感謝。

最近、ふと気がついた。本が好き、書くことが好き、器用かな、酒が好き。何だ、父と同じではないかと。
このエッセイを墓前に供えたい。「何だ、お前も大したことはないな。俺の後を追っているだけではないか。もっと勉強せい」と言われそうな気がする。
そうだ、わたしの「心のふるさと」は、父にあったのだ。これですっきりした。

おじいさん、曾お爺さんは、こういう生きざまであったことを子供たち、孫たちにしっかりと伝えておきたい。これを小さいが、素敵なプレゼントにしたい。ごく普通の庶民の生きた証であり、大切な家族の記録でもあるから。

 やはりDNAの世界は不思議である。わたしは父が好きだ。

posted by Ryoma21 at 11:29 | Comment(0) | 中村義「私のエッセイ雑記帳: | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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