私のふるさと、紀州有田の名物のひとつに「なれ寿司」がある。暑い夏の盛りが過ぎ、秋祭りが近づく頃、各家庭では、こぞって自慢のなれ寿司の仕込みに入る。
塩味をつけた新鮮な鯖を、棒状にしたご飯にかぶせ、アセの葉でしっかりと包み、重しを載せて漬け込み、気長に自然発酵を待つ。時間と共に微生物が、頑張ってすばらしい味わいをかもしだす。
口の悪い連中は、「腐れ寿司」などと言うが、とんでもない誤解である。その発酵期間の長さによって、また様々な分類もあり、たとえば「早なれ」、「なれ」、「本なれ」などと、熟成度ごとに名前がついている。
「熟れる(なれる)」とは、まじりあって味が良くなるという意味であり、まさに「なれ寿司」の名前そのものを意味する。
子供の頃からの私の大好物であり、その季節になるとご近所の各家々と交換したり、戴いたりした「なれ寿司」を味わうのが大の楽しみであった。今年は、あそこの家のが特においしかったとか、我が家のはどうだったろうか、とか喜んだり、心配したり。
この「なれ寿司」は、日本酒との相性が抜群によい。そして、いくら食べてもお腹をこわすことはない。消化もよい。
アセの葉で巻かれた寿司の上から、包丁でバリバリと音を立てて切る。切り端のところをすばやく、さっと取る。ここが一番旨い。鯖が折り曲がっているので得した気分と、2面に味が滲みているので絶品である。素人は中ほどのきれいに切った部分を食すが、玄人は断然、切り端の部分を狙うのである。
これは古くからの先人達の智恵からなる保存食でもあり、またその年の秋に収穫された新米とその時期の脂の乗った新鮮な鯖が合体した、なんとも贅沢な旬の食べ物である。
紀州は、殆どが山地であり、僅かな平野部と海岸に頼って暮らしてきた。そのため穀物などの栽培には適していない。だから昔から豊かな国ではなかった。そこで徳川家の殿様たちが、家来に命じて何とか貧しい民の食生活を救おうということで、茶粥や色々な保存食を考案させたという言い伝えがある。
陸の幸である米と海の幸である魚に感謝する「秋祭り」にふさわしい「なれ寿司」はふるさとの自慢料理である。昔の人たちの智恵と工夫の生きた芸術品と言えよう。
毎年、秋祭りの頃、紀州から遥々届く宅急便が待ち遠しい。秋の風に吹かれながら、少し冷やした純米酒と「本なれ」寿司をじっくりと味わいながら、遠くふるさとに想いを馳せる。生きている幸せを思いっきり実感する瞬間だ。
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