この国は、真の民主国家か? (私のエッセイ雑記帳No.74)

ライフワーク研究家 中村 義(なかむら ただし)

最近、特に感じること。この国の「政治世界」には、本当にうんざりだ。これまでも、このテーマについて感じているモヤモヤを書き綴ってきたが、今回は、いわゆる「政治家」と言われる人たちへ、今どうしても言いたいことなどを書き残しておく。

まずは、基本的なことから。
「国民の、国民による、国民のための政治」が民主国家の基本であることを認識する。当たり前のことであるが、この大切な考え方を今一度みんなで一緒に共有したい。

そして、いわゆる「議員」と呼ばれる人たち、すなわち国会議員、知事および都道府県議会議員、市町村議員などを選挙で選ぶ制度について、私の提案を紹介したい。

立候補予定者たちへ筆記試験と面接試験による統一テストを実施し、本人の政治に関する基本的な知識や適性をチェックする。ここで、その人たちの教養や人格や誠実さや正義感などを一般住民に知ってもらうのだ。

さらに選挙制度では、投票改革のひとつとして、立候補者の中に適任者がいない場合、棄権防止のためにも、落選させたい人(含、当選して欲しくない人)へレッドカード方式(マイナス票で減らす)を導入する。これは、衆議院議員選挙の時に行われている最高裁判所の判事の適否記入方式で実施されているから、おかしな話ではない。

そして、すべての議員たちの議員報酬を大幅に減額するか、基本的にはボランティアの形態であるべきではないか。これは西洋の国々には、既に存在していることである。

国会中継などで、たびたび見られる議論の中で「言葉遊び」とも言える無様な応答には、まことに「うんざり」する。官僚の書いた原稿をそのまま読み上げ自身の厚顔無恥をさらけ出す、といった醜態も少なくないどころか、気分が悪い。

また、法案などの審議時間が30時間を超えたので採決をするといったような風習は、止めるべきである。大切なことは、時間ではなく論戦の中身である。こんな当たり前のことすら実行できない与党の議員には、それこそ猛省を求めたい。あなたたちは、公正、公平、正義を大切にし、国民のために汗をかくべきである。

まともに答弁できない哀れな大臣たち、人格や資質に劣る議員たち、反対意見を言えない与党議員たち、あなたたちには人間としての恥ずかしい気持ちが欠けている。明らかに嘘をついて、物事をごまかそうとし、数の力で無理やり正当化するというやり方は、世界の素晴らしい多くの民主国家から冷ややかな目で見られていることに気付いて欲しい。

そこで、「噓発見器」の開発を国家プロジェクトとして、多くの優秀な研究者たちを集めてノーベル賞に値するような画期的な発明をしてもらいたいのである。そうなれば、嘘答弁などは完全に排除され、もっと有効な議論に時間を使えるのである。

国会中継について一言。国会開催中などで、国民にとって大切な法案審議を生で見聞きできることは、とても良いことである。そこでNHK(公共放送)には、他の番組を犠牲にしても、議案によっては、国会中継はくまなく放映してもらいたいのである。BS放送を含めると5局もあるのだから、できないことではない。百歩譲って、今すぐにNHKラジオ放送で実行してもらいたいのである。

(余談)変な言葉、いろいろ

政治家たちの発言には、まことに違和感というか、変な決まり文句を連発することで難を避ける人たちが少なくない。いくつかの例を挙げてみる。

万全の体制で:世の中には、およそ「万全」ということはあり得ない。にもかかわらず、平気な顔でこの言葉を使う政治家たちが多い。そして実際に外れた場合には、「想定外」という彼らにとってとても便利な言葉で直ちに取り繕うのである。

真摯に受け止め:これも毎日のように耳にするが、かえって嘘ぶいているような印象を与えることに気付いていないのだろうか。

結果を出す:この言葉はスポーツ界でも頻繁に使われているが、議員たちも使う。正しくは、「良い結果を出す」と言うべきで、単に「結果を出す」では、悪い結果も含まれるのであるから省略しないで、もっと正確に表現すべきである。

粛々と:自分たちが最も正しいと思い込んで、「その件については、国民に丁寧に説明し、理解を求めて、粛々と進める」などと発言していた某氏は、最近はこの言葉(粛々)を口にすることは無くなったようだが、少しは反省しているのか?

丁寧に:これからはしっかりと丁寧に対応したい。これまでは、そうではなかったということであり、まさに可笑しな表現に気付いていないのである。

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