「『スターウォーズ』の思い出 ~我が家との歴史的な繋がり」 私のエッセイ雑記帳(その81)

ライフワーク研究家 中村 義

あの超人気映画「スターウォーズ」シリーズ第7作「スターウォーズ フォースの覚醒」が2015年12月18日に、日米同時公開された。

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ちなみに、第1作「スターウォーズ」は、1977年5月25日にアメリカで上映され、日本では翌年に公開されている。私は、エンジニアの仕事でエクソン技術研究所に派遣され、1977年4月から1979年3月まで、米国ニュージャージ州で家族(当時3名)と一緒にアメリカ生活をエンジョイしていた。

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当時、2歳半であった長男と近所の知り合いたちと一緒に、映画館で「スターウォーズ」を見た記憶が鮮明に蘇ってきた。私自身は映画の世界はあまり好まないほうであるが、さすがに、アメリカ映画の最先端をいく作品に圧倒されたことは、思い出にしっかりと残っている。

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今回の「スターウォーズ フォースの覚醒」は第7作目であり、第1作は“「スターウォーズ エピソード4、新たなる希望”」という副題を付け再整理されている。

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28年を経て、いま私たちの孫世代が、「スターウォーズ」の世界にはまり込んでいる。いま、彼ら小学6年生と3年生の兄弟、3歳の妹、計3人はスターウォーズの大ファンで、関連するグッズやおもちゃの収集家となって大騒ぎだ。

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誕生日のお祝い品やクリスマス・プレゼントには、どんどんリクエストしてくる。親の息子(41歳)が大切に保管している逸品もそれらの仲間にはいり、おもいっきり息を吹き返している。

こうして我が家は3代にわたり、すっかり「スターウォーズ」の虜となった。これからもこの興奮状態が続くことであろう。

(画像は日本テレビより転載)

posted by Ryoma21 at 18:14 | Comment(0) | しなやか広場とは | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「2018年(平成30年)年頭に思う」 私のエッセイ雑記帳(その80)

ライフワーク研究家 中村 義

新年を迎え、この1年を大切に過ごしたい思いが切実だ。特に、昨年は国内外での自然災害や事件から政治関連に至る悪しきニュースがまことに多く、とても良くない年であったという印象が強いからである。
今年こそは、それらの多くの問題への周到な準備・対応を含めて、より良い年になることを望みたいものである。

ここで、いま私が気になっている幾つかのテーマについて考えてみたい。

まず、「これが本当に必要なものであるのか?」という疑問を含んだ便利で新しいものと言われるもののうち、リニア新幹線と自動運転車を採り上げたい。
このリニア新幹線プロジェクトは、90兆円という莫大なもので、最初はJR東海が全て負担するという事であったにもかかわらず、国がそのうちの20兆円もの税金をつぎ込むというかたちになっていること自体が到底納得できないのである。
このプロジェクトは、ほとんどが地下40mくらいで建設されると計画されているが、計画路線には数多くの活断層が存在しているため、大地震の災害を含むという大きな問題を抱えている。そのうえ、もっと肝心なことは、どうして東京―大阪間を1時間(時速500km)で走ることが必要なのか、という根本的な議論が抜け落ちている。
とんでもない事故が想定されるプロジェクトをやすやすと国が認めて応援するというのは、まことに無責任ではないか。本当に速いことが便利なことなのか?敢えて言わせてもらうと「危険を無視して、そこまで速さの方が大事なのか?」と言う事である。
まだ間に合う、きちんとした専門家たちで構成される第三者機関で、根本からしっかりと見直すべきではないか。
リニア新幹線関連工事についての大手建設企業4社(大林、鹿島、清水、大成)の談合疑惑が浮上している。このことも含めてこのプロジェクトは、中止すべきである。

また、自動運転車の開発も先進諸国も含めて日本も進めているが、これも本当に必要なのか、機械任せで人間の判断を省いたかたちの危険な乗り物を開発するメリットがあるとは到底思えない。危険極まることは明白である。というのは、人間が作ったものは必ず壊れるし、メンテナンス不良で事故が起きることは間違いないのである。
このことは、トンネル、橋、水道・下水などのインフラの他、鉄道、飛行機などの交通機関での破損や事故を見ても明らかである。人工物は約40年が寿命であるから、その間にしっかりと惜しまずにメンテナンスを続けなければならない。「人間が作ったものは必ず壊れる」という当たり前のことを今一度思い浮かべるべきである。
それについ最近、新幹線で起こった車両の台車破損事故はいかにメンテナンスが大切であるかを示した事件である。幸い大事に至らなかったが、人間に対する警鐘と受け止めたい。何でも新しいものを作ることは易しいことであるが、出来上がったものをいつまでも安全に保つことはとても困難なことであるという実態に真摯に目を向ける必要がある。

原発廃棄を強力に提案している小泉前総理の動きに注目したい。あれだけの大きな惨事を起こし、いまなお多くの問題を抱えた東電福島第1原発事故をしり目に、国内の原発再稼働を進めている政府は、まるで他人事のさまである。
さらに、これまで決められていた40年の稼働をさらに20年も延長できるような法律を平然と作り、安全であるから問題がないと主張している様には呆れる。この国は「国民の安全と安心を守る」というスローガンだけを掲げて、事あるたびに誰も責任をうやむやにしているのは、許せない。

次に、政治問題について。国際的な問題として以前からとても気になっているのが国連安保理における常任理事国の存在である。第2次世界大戦の5つの戦勝国(アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国)がずっとその地位を継いでいる。中でも許せないのは、メンバー各国に拒否権が与えられているため、誰が見ても必要な議題に対して自国の利益などを優先するために不都合なことには「拒否権を使う」という、極めて非民主的なことが平然と行われている不可思議さに唖然とするのである。
こうしたことすら改善されない状態がいまだに続いていることは、とんでもない話だ。

今年は、日本では憲法改正問題、世界では北朝鮮問題やアメリカ大統領フェイク?などが気になることである。

(余談)今年はとても素敵な年になりそう。

偶然に民放テレビ局の放映で見かけた今年の運勢番組。これは血液型(4)と星座(12)で占うもので、全部で48通りの組み合わせがあり、その順位が発表された。
そこで、驚いたのが何と、私の運勢が第1位(A型、さそり座)であることを知った。
恋愛、金運、仕事、健康など全てが最高得点である。中には関係のない項目もあるが、取り敢えず、「そうだ、宝くじを買おう!」と素敵な初夢?に感動した私だ。実現することを期待して、真摯にまじめに暮らすことを改めて自分に誓ったのである。この結果は、別途報告したい。

posted by Ryoma21 at 23:21 | Comment(0) | 中村義「私のエッセイ雑記帳: | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「司馬さんにとって、小説とは何か」 私のエッセイ雑記帳(その79)

ライフワーク研究家 中村 義

もちろん、ここでは司馬さんにとっての「小説」とは何かということである。
司馬さんはいくつかの作品の中で、小説について次のように話している。

「私における小説の概念は単純で、人間と人間における私なりに感じた課題を書くだけのことだが、この小説(「坂の上の雲」を指す)では人間と人生の一表現として戦争が出てくる。その戦争も、この小説の主題上、戦術的規模よりも戦略的規模の場で見てゆくようにしたかったのだが、その作業では陸軍のほうがやさしかった。

人間にとって、その人生は作品である。この立場で、私は小説をかいている。裏返せば、私と同年代の人間を(もしくは私自身を)書く興味をもっていない。理由は、「現代」では人生が完結していないからだ。

俯瞰、上から見おろす。そういう角度が、私という作家には適している。たとえばビルの屋上から群衆を見おろし、その群衆のなかのその某の動き、運命、心理、衆表情を見おろしてゆく。(中略)歴史小説とは、そういう視点に建っている。そういう視点でものを見ることの好きな、もしくは得手な人が、歴史小説を書くのだろう。私もそのひとりである。

資料がなければ、もはや想像するしかないがそれでもよい。想像しているだけでついに小説にならないことのほうが多いが、しかしこの想像の段階こそ私のえがたい娯楽である。」

これらの言葉から、司馬さんの作品(あえて「小説」と言わず)の背景には、現代よりも幕末や明治時代といった過去の歴史に非常に興味があり、その中で活躍した人々の「完結した人生」をみることが、とてもおもしろいということであるようだ。

司馬さんは極めて高い論理的思考の持ち主であり、くまなく史料などを検証した上で、作品を書き上げるのである。

ご本人のお気に入りの作品のひとつ「殉死」を書いたときの次の苦労話が、このことを裏づけている。

「日露戦争の刻々の、段階ごとの戦術を図に書きまして、そうやっているうちに乃木さんのやっていることがおかしくなってきまして、『おれならこうやる』といった考えが出てくるわけです。(中略)たとえば参謀などの働きのおかしさもわかってくる。そして、それが他の資料で調べたことと一致してくる。(中略)『司馬さんは職業軍人か』、と私の友人の兄さんが言ったというのを、その友人からきいたことがありますが、私はそれがうれしかったですね。私は戦術においてあやまっていなかったと思ったからです。」

ただ、場合によっては「最後はやっぱり直感に頼るしかない」と正直に言い切っているところが、司馬さんファンにとっては親しみを感じさせる、なんともうれしい言葉である。

書くことが好きな私にとって、司馬さんの次の話はとても興味深い。

「小説を書くことが苦しくなくなってきたのは今から、2,3年まえ(40歳前後)からのことです。作品では『竜馬がゆく』です。なぜそうなってきたかといいますと、私は一度書いた文章がすぐいやになって、ものすごく添削するくせがありますが、それがよくないと気づいたことがあります。それ以来でしょう。(中略)」

ある人から「添削すると意識が中断されてくるから、できるだけ直さない方がいい」と言われ、その後、司馬さんもそういう心境になったとき、その言葉を思い出して、文章を直さなくなってきたというのである。その時期は『竜馬がゆく』の執筆ころからという。

これは司馬さんだから、いや司馬さんしか言えないことだと思う。一般に、プロで小説やエッセイを書く人たちは、「推敲や添削は、できるだけ何回もしたほうが、文章の無駄がなくなり、質も向上する」と口をそろえて言う。私もいつもそういう風に教わってきた。

つまり、書くことの好きな単なる凡人と超非凡人との究極の違いを垣間見たというのが現実的な感想である。もっと端的に言えば、脳の構造の大いなる違いだろう。それしかない。

この「小説」のこともそうであるが、「エッセイ(随筆)」についても、司馬さんらしい考え方や解釈が多々あるので、ここで是非紹介しておきたい。

コラム:小説・エッセイとは?

国語辞典などでは小説や随筆をどう定義しているか興味があったので、調べてみた。

小説:作者の構想力によって、登場人物の言動や彼等を取り巻く環境・風土などを意のおもむくままに描写することを通じて、虚構の世界をあたかも現実の世界であるかのように読者を誘い込むことを目的とする散文学。読者は描出された人物像などから各自其々の印象を描きつつ、読み進み、独自の想像世界を構築する。

お役人の文章のようで、ひと息ではしゃべることができないが、なるほど・・・。ついでに司馬さんの好まない「随筆(エッセイ)」についてはどうか。

随筆:平易な文体で、筆者の体験や見聞を題材に、感想も交じえ記した文章。

これはいい。短くて、まことに明瞭である。

posted by Ryoma21 at 21:48 | Comment(0) | 中村義「私のエッセイ雑記帳: | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする